前世は猫のひとりごと

気の向くまま

自分を善人だと思い込んでいる

 

人は見かけで判断してはならない

 

よく聞く言葉だと思う。

ネットで簡単に素性を偽れる昨今、女を装った男でした、みたいな事例も少なくない(いわゆるネカマ)。

見た目と中身は必ずしも一致しないものだ。

 

ただ、

 

「怖い人だと思ってたけど、話してみるとめちゃくちゃ優しかった。」

 

という逆パターンも存在する。

経験ないだろうか。

「あれ思ってた感じと違うぞ」

みたいな。

「勝手に身構えてた自分が恥ずかしい」

みたいな。

 

 

「厳しい女性の上司が実は可愛いもの好き」

「町一番のヤンキーが、子猫を飼っている。」

 

メジャーな例はこの辺りか。

実にアニメや漫画で見るような展開だ。

無論私も大好きだが、じゃあこれらの何がそんなにも私たちを惹きつけるのか。

 

 

それは「ギャップ」だ。

 

 

見た目から想定するイメージと、実際のイメージとの間に生まれる乖離。

真空状態。

真空には何も存在しないが、それ故私たちの脳内をフリーズさせる。

そのフリーズが心地よい。

オタクらがいう「尊い」という感情だ。

身構えていた分、余計優しく感じるという部分もあるだろう。

ギャップは尊いものだ。

最高のものだ。

 

 

だが、この世に一つだけ、どうしても許せないギャップが存在する。

 

 

それが、冷めたホットカフェオレだ。

 

 

あたかもアイスカフェオレのように振舞うそれは、口にすれば分かる。

全くの別物。

根本から異なる物質。

何で?

何でこんなに不味いの、君は

 

まず態度が気に入らない。

私は夜に家に帰ることも結構ある。

一人暮らしなもんで、迎えてくれるのは彼一人。

 

「お疲れ様です、アイスカフェオレです。どうぞ、私を召し上がれ」

 

バカ言え、お前俺が朝飲み残したホットカフェオレだろ。

ボケナス。

危うく騙されそうになる。

怪盗二十面相か。

彼は何食わぬ顔で、アイスカフェオレのフリをしているのだ。

Blendyの教育はどうなってんだよ!?

 

 

 

要するにですね。

 

要するに「逃げ」。

 

「冷めちゃったけど、アイスカフェオレのフリすればいっか」という楽観的な思考。

 

本当に許せない、そういう人間。彼はカフェオレだが。

 

明日から頑張ろう。

 

次、間違えなければいいだろう。

 

そういう舐めた態度の人間から、社会に搾取されていく。

 

奪われに奪われ、落ちるに落ち、それを社会のせいだと嘆く。

 

自分の楽観的思考が招いた結果だと、気づかない。

 

そうやって、廃人になる。

 

彼はカフェオレだが。

 

 

 

 

とにかく、冷めたカフェオレが不味いという話なのです。

残したまま家を出る私が悪い。

 

人間、いつだって問題の原因は近くにあるものです。

気張っていきましょう。

では。