前世は猫のひとりごと

気の向くまま

釘でも食っとけ

食事とは五感全てを使って行うものだと思う。

そう思う。
いや味覚だけだろ、と突っ込みが入るかもしれないが、私の考えとしては


味覚は当然の要素、”前提条件”だろうが……!!


こんな感じだ。
ま具体的に説明すると冷めてしまうので感覚で聞いてほしい。

まず視覚。
これは多くの人が理解できるのではないだろうか。
見た目というのは、思っている以上に重要なファクターだ。

カレー味のうんこも、
虫の形をしたスイーツも、

味はおいしいと分かっていてもパクパクと行けたもんじゃない。
どこか、ブレーキがかかる。

彩という観点で言えば、料理の上にパセリが添えられていることもあるだろう。
刺身は見栄えのために、グラデーション且つ立体的に盛り付けられていることもあるだろう。
盛り付け次第で、箸の進みも変わるのだ。


嗅覚は言わずもがなだ。
鼻という機関は、舌と密接な関係にある。
ふと部屋を出た時に気づくカレーのにおい。
ラーメン屋を横切った時に鼻を抜ける、濃厚な豚骨の香り。
「食べてぇなー」
と思わせることは、食事において大変に素晴らしい。
食べる前から攻撃は開始されている、
さしずめ香りとは先行パンチのようなものだ。


触覚も、少なからず納得する人はいるだろう。
食レポなんかを見ていると、触感を伝えようとする芸能人は多い。
もちもち、ぷにぷに、カリカリ、ほくほく、etc……
やはり、味だけではないことが分かる。


最後に聴覚。
これが一番意味が分からないと思われるが……どうだろう。
これは周りの音だったり空気感が食事に影響するということ。
言い換えれば、”食事の環境”だ。

聴覚に関しては本当に個人差だと思うが、私は結構騒がしい方が箸が進む。
焼肉屋とか居酒屋とか、それこそ学校の給食みたいな感じだ。
ガヤガヤとした空気の中、なんというか、そう、溶け込んだ感じだ。
これはそれなりに楽しい。
逆に、一人寂しく食べる食事はあまり箸が進まない。
虚無だ。
心ここにあらず。
うるさくてもアレだが、多少の雑音は必要なのだ。


……。
まぁ偉そうにベラベラと語ったが、別に私は舌の肥えた美食家でも何でもない。
そこら辺にいる大学生である。

というか、そもそも私自身「舌の肥えた」という表現が苦手だ。
てか、嫌いだ。
自分を美食家だのなんだの豪語する人間に、ろくなヤツなどいないからだ。
だってそうだろ。
他人が丹精込めて作った料理にケチをつけるのが趣味な奴らだ。
ろくでもないに決まっている。

確かに”良し悪し”というのはある。

私だって、真っ黒に焦げた餃子は正直食いたかない。
そこは、しっかりと線引きをすべきであろう。
だが奴らは”良い”にすら難癖をつけるではないか。
もうね、バカかと。
金があるからってお高く止まりやがって。
まずお前ら誰だよ。
やれ「味付けがなってない」だの
やれ「私の舌は誤魔化せないぞ」だの


”良い”なら”良い”だろ!”良い”んだから!


マジで。


さて、冒頭で五感がどうだの書いておりましたが皆さん
たとえ大金持ちになったとしても、コンビニ弁当で喜んでいた時のあの日の気持ちを忘れないでください。

ハーゲンダッツだけじゃなくて、たまにはクーリッシュも食べてください。

この世のものは大抵うまくておいしいです。