前世は猫のひとりごと

気の向くまま

寒すぎ・鹿忘れ物多すぎ

さみぃ~

どれくらい寒いかというとクソ寒い。
秋ですねぇ。
アパートの前にある自販機に、HOTの缶が色々追加されてました。
こういうのを見ると、季節が変わってきたなぁと感じるよね~。
今年も残すところ残り3カ月。
元気に頑張りたいですねぇ。


「いい意味で」とかいう、前置き界隈のゴミ。
なんどか耳にしたことはあると思いますが。
「いい意味で」……コイツの凶悪さに気づいている人が果たしてどれだけいるのだろうか。

「○○くんって、いい意味で変わってるよね」
「○○ちゃんて、いい意味で女の子っぽくないよね」

一見すると普通のセリフ。
本来あまり良く捉えられない言葉を、あたかも良いという風にすり替えてしまう悪魔のごとき所業。
比喩でもなく、真っ向から堂々と悪口を突き飛ばすことができる日常の裏技。
究極の免罪符。
言うならば、麻酔をした相手に、包丁でグサリ・・・。
恐ろしいったらありゃしない

「○○、いい意味でかわいくないよねぇ(笑)」
「君、いい意味で仕事向いてないよ」
「お前ってホントクズでうるさくて臭いな!あ、いい意味でな!!いい意味で!!(笑)」

うわあああああああああああああ!!!!!!

なんなんだこの地獄は。
こんなことが許されて良いのか、良いわけがない。
最悪だ。
理由はどうあれ、本人に直接罵詈雑言など浴びせてはならないのだ……
多分、何とか罪でつかまるし……


というわけで、秋の訪れを(ようやく)感じた今日この頃でした。
僕の住んでる奈良は、この時期は修学旅行生がとても多い。
観光客が増えると、つられて鹿も賑やかになっていい感じです。
ただ、鹿が増えるということは鹿のふんも増えるんですよねぇーーー

奈良って観光名所なのに、いざ歩くとうんこだらけ。
綺麗な紅葉が咲いていても、道はくっせぇんですわ。
え?
あぁ、もちろん、いい意味で。

ウサギちゃん「このクズ野郎」

ハロー、人類。

現在夜の11時だが、私がハローだと思えばハローだ。
要は気持ちの問題だ、何事も。
さっそく行こう。

・前回に関すること
また出会ったのよ、かざして流すトイレに。
なんだか増えてきているような気がするんだけれど、気のせいだろうか。
気のせいであってほしい。
なるほど、
今回のトイレの製造元はネオレストという会社らしい。

ちょっとかっこいいじゃん。

ネオレスト、良いね。
訳すと、新たなる休息。
スターウォーズの新作か何かか?

「バーカ、そういう時に引き合いに出すのは普通ハリーポッターだろ!」

黙れよゴミ野郎。
ご長寿シリーズなら何でもいいだろうがこういうのは。


さて本題。
皆さんはクソをまき散らしながら歩いたことはあるだろうか。


あれ、これ台本間違ってるか?
唐突に何を聞いてるんだ?
……
あ、これであってるんだ。
そう……

皆さんはクソをまき散らしながら歩いたことはあるだろうか。

あるわけねーよアホというのが正直なところだろう。
私も勿論あるわけないです。
というか、この質問自体、ノーと答えられることを前提に用意している。
こんなことしたら、確実に豚箱行きだ。

しかし、なぜ豚箱行きになるのだろう。

我々の日常とは、様々な欲求との闘いとも言い換えられる。
三大欲求に代表される生理的欲求、
あれに乗りたい
あれが欲しい
エトセトラ。
であれば、「クソをまき散らしながら歩きたい」という欲求だって浮かぶことだろう。
……
浮かぶこととする。
だがさっきも言ったが、そんなことをしたら即お縄だ。
通報され、警官に取り押さえられ、

「このクズのヘンタイ、おとなしくしろっ!」

「違うんです!僕は正常なんです!突然クソをまき散らしながら歩きたいという欲望に襲われただけなんですぅぅぅ!!!!」

「黙れゴミクズ精子、詳しい話は署で聞かせてもらう。……聞きたくもないがな!」

あばよ、シャバよ。
こうなってしまえば、少なくとも五年は刑務所生活。
見事、新聞の一面を飾ってしまうことになる。(良かったじゃん)
警察密着24時のレポーターが取材していたらもっと最悪だ。


同じ欲求のはずなのに、どうしてこうも異なるのか。
飯を食うのは良くて、クソを散らすのはダメ。
後者は迷惑だからだろ、とか言われるかもしれないけど、
多分それはカンケーない。
人だかりの全員、
強いては警察のお兄さんの全員が
「なんて美しいクソのまき散らしなんだ」
と感動していても、同じく男は現行犯逮捕豚箱直行便。
つーか、飯食ってて迷惑な奴もいんじゃん。


やはり、社会、ルールという不変のモノの仕業か。
迷惑云々の前に、クソをまき散らしながら歩いてはいけないというルールがあるのだ(そんなピンポイントじゃないと思うけど)
良し悪しではなく、ルールだからだ。
もし明日岸田総理が

「えー、日本人は原則クソをまき散らしながら歩かなければ死刑にしようかなとか考えております。検討中です。」

とかなんとかほざいたら、君たちはケツを引き締める必要がある。
だって、それがルールだ。
さっき通報した女性も、罵倒した警官も、
みなさん仲良くクソをまき散らしながら歩かないと、犯罪になるのだ。

「このクズのヘンタイ!おとなしくしろ!」

「違うんです、僕は正常なんです!!だってクソをまき散らしながら歩くなんておかしいでしょ!?」

「黙れゴミ野郎、詳しい話は署で聞いてやる!ほらっ、きびきび歩け!クソをまき散らしながらだぞ」


あーーーーー
自分でも何書いてんのって感じだ。
びっくりするほどディストピアだ。

まぁでも、そういうことだ。
刑務所の連中と私たちを分けているのはたかがルールであって、
もしそれが逆転しようものなら、
我々が犯罪者で、彼らが普通の人間ということになってしまう。
それほど曖昧模糊なものに、私たちはすべてを委ねている、
委ねざるを得なくなっている。
もっと言えば、国同士でもルールは違う。
本当に、気を付ける必要がある。


ところで、日本のルールでは今年はウサギ年ですが、
ベトナムではネコ年だそうです。
いいなぁぁぁぁぁネコ年……

くそったれ未来(つーか現代)

0が過去で、1が未来

これ。
かのアーティスト、いとうかなこ氏の「スカイクラッドの観測者」という曲のワンフレーズである。
過去、現在、未来とはさも三兄弟のように扱われるが、
現在とは刹那であり、我々が人間である以上は観測できない、ということを数字を用いて表している。
なかなかウィットな歌詞だ。

しかし時に、”現在”を体感できる瞬間がある。
例えば。

朝起きて時計を見ると、どうやらまだ寝ていても大丈夫そうだ。
まどろみ冷めやらぬまま、二度寝する。
そこで、何らかの壮大な夢を見る。
体感……それこそ一時間くらいの長さの夢、ってことにしようか。
目が覚め「ヤバっ」と時計をみると、
あらら、現実世界では5分しか経っていないようである。
よかったー。

ってやつ。
経験あるだろうか。
私はショッチュウあります。

つまり何が言いたいかと言うと。

”意識”がある以上、今を観測できない。

逆に

”意識”が曖昧な時、今を観測できる

ということなんだね。
ゾーンに入ったスポーツ選手とかも、同じような原理なんだね。



そんな話はさておき。

私は悲しい!!!!!

という話しをしよう。
と。
思う。
…………。

私が生きている今、すなわち「現代」、だね。
はたしてこれが、過去の私が思い描いていたものなのか、って話しなワケ。

これは私が先月福岡の某デパートで体験した話なのだけれど、
ガンダムブースに行こうと、普通にエレベーターに乗るわけだ。
そこで気づく。


「行きたい階のボタンに手をかざしてください」

こう書いてある。
まことに驚きだよね。

私「行きたい階のボタンに手をかざしてくださいって……それはつまり、行きたい階のボタンに手をかざしてくださいってことですか!?」

いやはやハイテクな時代になったもんだと思うわけだけど、
何か物足りなさがある。
普段のエレベーターの、こう、ボタンを押したときの心地よさ、というか……。

カチ、と押して
カチ、と押して
ウィーン、と閉じる。
ポーン、二階です。

それがどうか。

スッ、とかざして
スッ、とかざして
ウィーン、と閉じる。
ポーン、二階です。

これが全然ちがうのよ。
正直、エレベーターに限った話じゃない。
スマホのフリック操作だって、あんまり好きではないのだ。
ガラケーのあのボタンを押してる感触。
パタン、と子気味良い音を立て畳むあのアクション。
最高だ。
同時に恋しい。
あぁ、恋しい。

本当はもっとボタン、レバー、キー、ハンドルに囲まれた暮らしがしたいのだ。
ガチャガチャと動かして、出撃したいのである。
そんな未来を思い描いていたのに、
実際の現実というやつは……

携帯→タッチパネル!
レジ→全自動!
キーボード→フリックアクション!
車のカギ→全自動!
エトセトラ→エトセトラ!
エトセトラ……

……バカヤロー!!
メカ好きの宿命か否か、非接触とは相容れないようだ。
こんな未来望んじゃいねー!

釘でも食っとけ

食事とは五感全てを使って行うものだと思う。

そう思う。
いや味覚だけだろ、と突っ込みが入るかもしれないが、私の考えとしては


味覚は当然の要素、”前提条件”だろうが……!!


こんな感じだ。
ま具体的に説明すると冷めてしまうので感覚で聞いてほしい。

まず視覚。
これは多くの人が理解できるのではないだろうか。
見た目というのは、思っている以上に重要なファクターだ。

カレー味のうんこも、
虫の形をしたスイーツも、

味はおいしいと分かっていてもパクパクと行けたもんじゃない。
どこか、ブレーキがかかる。

彩という観点で言えば、料理の上にパセリが添えられていることもあるだろう。
刺身は見栄えのために、グラデーション且つ立体的に盛り付けられていることもあるだろう。
盛り付け次第で、箸の進みも変わるのだ。


嗅覚は言わずもがなだ。
鼻という機関は、舌と密接な関係にある。
ふと部屋を出た時に気づくカレーのにおい。
ラーメン屋を横切った時に鼻を抜ける、濃厚な豚骨の香り。
「食べてぇなー」
と思わせることは、食事において大変に素晴らしい。
食べる前から攻撃は開始されている、
さしずめ香りとは先行パンチのようなものだ。


触覚も、少なからず納得する人はいるだろう。
食レポなんかを見ていると、触感を伝えようとする芸能人は多い。
もちもち、ぷにぷに、カリカリ、ほくほく、etc……
やはり、味だけではないことが分かる。


最後に聴覚。
これが一番意味が分からないと思われるが……どうだろう。
これは周りの音だったり空気感が食事に影響するということ。
言い換えれば、”食事の環境”だ。

聴覚に関しては本当に個人差だと思うが、私は結構騒がしい方が箸が進む。
焼肉屋とか居酒屋とか、それこそ学校の給食みたいな感じだ。
ガヤガヤとした空気の中、なんというか、そう、溶け込んだ感じだ。
これはそれなりに楽しい。
逆に、一人寂しく食べる食事はあまり箸が進まない。
虚無だ。
心ここにあらず。
うるさくてもアレだが、多少の雑音は必要なのだ。


……。
まぁ偉そうにベラベラと語ったが、別に私は舌の肥えた美食家でも何でもない。
そこら辺にいる大学生である。

というか、そもそも私自身「舌の肥えた」という表現が苦手だ。
てか、嫌いだ。
自分を美食家だのなんだの豪語する人間に、ろくなヤツなどいないからだ。
だってそうだろ。
他人が丹精込めて作った料理にケチをつけるのが趣味な奴らだ。
ろくでもないに決まっている。

確かに”良し悪し”というのはある。

私だって、真っ黒に焦げた餃子は正直食いたかない。
そこは、しっかりと線引きをすべきであろう。
だが奴らは”良い”にすら難癖をつけるではないか。
もうね、バカかと。
金があるからってお高く止まりやがって。
まずお前ら誰だよ。
やれ「味付けがなってない」だの
やれ「私の舌は誤魔化せないぞ」だの


”良い”なら”良い”だろ!”良い”んだから!


マジで。


さて、冒頭で五感がどうだの書いておりましたが皆さん
たとえ大金持ちになったとしても、コンビニ弁当で喜んでいた時のあの日の気持ちを忘れないでください。

ハーゲンダッツだけじゃなくて、たまにはクーリッシュも食べてください。

この世のものは大抵うまくておいしいです。

中秋のめいげつん

便座を冷たいと感じる季節になりましたね。

違うな。

パンツ一丁が寒いと感じる季節になりましたね。

……違う。

エアコンが無くても過ごしやすい季節になりましたね。

これだ。
まぁ、なんでもいいのだが。
最近、露骨に秋の訪れを感じるという話しです。

季節の変わり目とは、感覚的に分かるものではない。
日々の生活で
「お、秋だな」
と感じる瞬間の連続。
つまり、”気づき”の連続。
季節とは、私たちの気づきによって形を帯びていく。

その一つが台風。
仲秋の季語でもある台風は、秋の訪れを伝えてくれる存在の一つ。
現実、台風が過ぎ去った今は少々肌寒い。
「とうとう秋が来たか」
ほとんどの人が感じているはず。

受験期の頃は、台風は進路が決まっていていいよな、とよく呟いていたものだが……
これは、ザ勘違い。
台風は進路を自分で決めている。
台風が進んだルートが進路となるのだ。
結局のところは、台風も私たちも何も変わらないのである。

裏を返せば、私たちは台風、ということ。
ウィーアータイフーン。
2022年後半も気張っていきましょう。


さて。
秋の話題続きで大変申し訳が無いが。

中秋の名月

綺麗でしたね、という話しだ。
やれ狼男だの、
やれ月が人を狂わせるだの、
暗い話が積る満月ではあるが

やはり。
やはり綺麗。
この一言に尽きる。


だが忘れていはいけない。



月は、地球から眺めるからこそ美しいのだと



分かるだろうか。

パパお月様とって、という絵本がある。
とある少女が月が綺麗なあまり欲しくなり、パパに頼むという話しだ。
考えてもみてほしい。

月なんて手に入れて、どうする?
月に住みたいだの言ってるやつ、住んでどうする?

月なんて所詮、クレーターだらけの衛星。
究極、岩の塊だ。
そこを開拓しようものなら、月ですらなくなってしまう。
綺麗だなーと眺めているうちが、一番綺麗なのだ。

(私が今とてつもない野暮なことをほざいているのは百も承知であるが、口が勝手に動くのだからしょうがない。いやこの場合、指。)


これが資本社会に潜む危ういシステム。

欲しかった服。
可愛かったあの子。
いざ手に入ったら、そこで終い。
何故なら、私たちが満たしたいのは
「その物の本質」
ではなく
「手に入れたい」
という欲望だからだ。
ほとんどの場合は。

欲望とは、遠ければ遠いほど輝きを増す。
しかし反対に、手に入るのは一瞬。
この時間差は、後悔という形で染み出てくることだろう。

じっくりと考えることを怠ってはいけないのです。
くれぐれも。
……


過去の私「それができたら苦労しねぇよ」
私「ひいん」

クックァァァ!

先日のブログで、私が車校に通っているという話をした。
小さな脳みそで頑張って運転してるという話をした。
そこでだ。
毎日、昼の12時になると教習所の近隣の家からこんな音が聞こえてくる。

クックァァァ!

怖い。
素直に怖い。
クックァァァ!!
悲鳴だ。
10秒くらいのスパンで聞こえてくる。
クックァァァ!
……
聞くところによると、どうやら近所に鶏を飼っている人がいるらしい。
驚きだ。
私の知る中では、そんな人は鷹山仁だけだったからだ。
その育てた鶏を食うのか、売るのかは定かでは無い
でも、生き物を育てるのは非常に難しいらしいじゃないか。
結構なことです。
だがそれ以上に驚きなのは。


お前ら、コケコッコーじゃなかったのか?


ということ。
鶏は、あんなに怖い声で鳴くのか。
そりゃあ、一語一句同じとはいかない。
だが、明らかにコケコッコーでもない。
クックァァァ!
甲高い声。
クックァァァ!
だいたい、どこの誰がコケコッコーなんて言い出したのか。
どこをどう聞けばコケコッコーと聞こえるのか?
クックァァァ!
いやちょっと聞こえるかもしれない。
クックァァァ!
とにかく。
……


クックックァァァァァァ!!!!


これが怖いという話なのだ。
鶏ごときに怖がる自分が恥ずかしいし、
無性に腹が立ってきた。

くしゃみだってそうだ。
この世のどこに、ハックション!と言いながらくしゃみをする人間がいるのか。
クチュンか、ヘブッシャァァ、しか聞いたことがない。
それとも、
この世の人間のくしゃみの音を平均したら、ハクションになるとでも言うのか?
だとしたら大変興味深い話だ。

こういう自然の音を言語化したものを、オノマトペという。(さすがに知ってる)
このオノマトペに関して、先日面白い話を聞いた。
こんな話、

「今の子に『電話を切る音』を訪ねると、『ティロン』と言う」

ほんとかいな。
普通『ガチャ』じゃないのか。
もしかして『ガチャ』は古いのか。
もしかしなくても、そうかもしれない。
にわかには信じ難い話だが、有り得ないとも言いきれないだろう。
なんせ、電話ボックスを知らない世代がいる現代だ。
固定電話も減少傾向にあると聞く。
(ちなみにティロンとは、スマホを切る音)

オノマトペとは、時代と共に変化していくのだ。
ガチャがティロンになるように、
コケコッコーがクックァァァになる日は近いかもしれない。
皆様、心してお待ちください。

ストとレス

まず、

目の前を通過する蚊を摘むイメージをする。

 

ブーー〜ーん………ぎゅむ

 

摘んだ手をそのままこめかみに添え、目を瞑る。

ぐい

……

あー、目が疲れてんなぁ、と。

これ、日課です。

いかにもジジくさい。

もちろん原因はある。

 

最近車校に通っているのだが、これがかなりキツイのだ。

元から複数の事を同時に考えられないタチだ。

やれウィンカーだのやれ巻き込み確認だの、

 

私としては頭パンク寸前である。

 

毎秒必死。これマジ。

そんなだから、講習が終わる頃には目も口もカラカラなのだ。

ただ、先生は良い人だし、段々慣れてきてはいるから、私としてはそこまでストレスではないのだが。

 

 

身体はそうもいかないようで。

 

 

どうやらストレスというのは、意識の水面下で進行するものらしいのだ。

人体の面白ポイントだ。

 

身体とは、神経という道路で構成されたサーキット。

ストレスはその地下水路を行く下水、ということだろう。

 

我々の気付かぬうちに、身体の隅々、節々に浸透する。

全く、厄介なものである。

 

 

ということで、これに抗おうと思う。

いや、人間の構造上、抗えるものでは無いのだが。

人間を辞める勢いで行けば大丈夫だ。

 

………大丈夫だ。

 

まず、水面下の存在というのが厄介ポイント。

 

これを何とかしたいわけだが。

水面下、つまり無意識。無の意識。

であれば、無意識にストレスを感じない身体になる必要がある。

 

そこでこんなのはどうだろう、

ストレスを感じそうになったら

 

「ありがとうございます!!!!」

 

と心の中で叫ぶ作戦。

どんな言葉も肯定的に捉える、これを刷り込む。

ちょっとやってみる。

 

 

「おい!このレポート出せって言ったよな!?お前本当にできねーやつだな!」

「……」

「おい、なんか言えや!!!」

 

 

「ありがとうございます!!」

 

 

決まった。

 

これ良くないか?

良いよね、ええ。

これを毎日続けたら、

無意識のうちのストレスも、全て跳ね返す強靭な精神が完成するとは思わないか?

思うよね、ええ。

だって、どんな罵詈雑言でも喜べちまうんだから。

 

「おい、この仕事やってくれよ、な」

「ありがとうございます!」

 

「あなたとはもうおしまい。別れましょ」

「ありがとうございます!」

 

「お前ら金を出せ!俺は強盗だ!金を出せ!」

「ありがとうございます!」

 

「いざ尋常に、勝負。ここで死ねい!」

「ありがとうございます!」

 

 

あー、いいね。

いいね。

……本当にいいか?

良くないな?

これただ変人よもう。

こんなやついたら即通報だ。

 

 

ところで最近、大学の友達が私のブログを見てくれたらしい。

で、こんなこと言ってきたわけだ。

「お前のブログ見たけど、本当につまんねぇな。つまんなすぎて吐いたわ」

 

私はいつも通り、即座に笑みを浮かべこう言った。

「ありがとうございます!」