前世は猫のひとりごと

気の向くまま

中秋のめいげつん

便座を冷たいと感じる季節になりましたね。

違うな。

パンツ一丁が寒いと感じる季節になりましたね。

……違う。

エアコンが無くても過ごしやすい季節になりましたね。

これだ。
まぁ、なんでもいいのだが。
最近、露骨に秋の訪れを感じるという話しです。

季節の変わり目とは、感覚的に分かるものではない。
日々の生活で
「お、秋だな」
と感じる瞬間の連続。
つまり、”気づき”の連続。
季節とは、私たちの気づきによって形を帯びていく。

その一つが台風。
仲秋の季語でもある台風は、秋の訪れを伝えてくれる存在の一つ。
現実、台風が過ぎ去った今は少々肌寒い。
「とうとう秋が来たか」
ほとんどの人が感じているはず。

受験期の頃は、台風は進路が決まっていていいよな、とよく呟いていたものだが……
これは、ザ勘違い。
台風は進路を自分で決めている。
台風が進んだルートが進路となるのだ。
結局のところは、台風も私たちも何も変わらないのである。

裏を返せば、私たちは台風、ということ。
ウィーアータイフーン。
2022年後半も気張っていきましょう。


さて。
秋の話題続きで大変申し訳が無いが。

中秋の名月

綺麗でしたね、という話しだ。
やれ狼男だの、
やれ月が人を狂わせるだの、
暗い話が積る満月ではあるが

やはり。
やはり綺麗。
この一言に尽きる。


だが忘れていはいけない。



月は、地球から眺めるからこそ美しいのだと



分かるだろうか。

パパお月様とって、という絵本がある。
とある少女が月が綺麗なあまり欲しくなり、パパに頼むという話しだ。
考えてもみてほしい。

月なんて手に入れて、どうする?
月に住みたいだの言ってるやつ、住んでどうする?

月なんて所詮、クレーターだらけの衛星。
究極、岩の塊だ。
そこを開拓しようものなら、月ですらなくなってしまう。
綺麗だなーと眺めているうちが、一番綺麗なのだ。

(私が今とてつもない野暮なことをほざいているのは百も承知であるが、口が勝手に動くのだからしょうがない。いやこの場合、指。)


これが資本社会に潜む危ういシステム。

欲しかった服。
可愛かったあの子。
いざ手に入ったら、そこで終い。
何故なら、私たちが満たしたいのは
「その物の本質」
ではなく
「手に入れたい」
という欲望だからだ。
ほとんどの場合は。

欲望とは、遠ければ遠いほど輝きを増す。
しかし反対に、手に入るのは一瞬。
この時間差は、後悔という形で染み出てくることだろう。

じっくりと考えることを怠ってはいけないのです。
くれぐれも。
……


過去の私「それができたら苦労しねぇよ」
私「ひいん」