前世は猫のひとりごと

気の向くまま

くそったれ未来(つーか現代)

0が過去で、1が未来

これ。
かのアーティスト、いとうかなこ氏の「スカイクラッドの観測者」という曲のワンフレーズである。
過去、現在、未来とはさも三兄弟のように扱われるが、
現在とは刹那であり、我々が人間である以上は観測できない、ということを数字を用いて表している。
なかなかウィットな歌詞だ。

しかし時に、”現在”を体感できる瞬間がある。
例えば。

朝起きて時計を見ると、どうやらまだ寝ていても大丈夫そうだ。
まどろみ冷めやらぬまま、二度寝する。
そこで、何らかの壮大な夢を見る。
体感……それこそ一時間くらいの長さの夢、ってことにしようか。
目が覚め「ヤバっ」と時計をみると、
あらら、現実世界では5分しか経っていないようである。
よかったー。

ってやつ。
経験あるだろうか。
私はショッチュウあります。

つまり何が言いたいかと言うと。

”意識”がある以上、今を観測できない。

逆に

”意識”が曖昧な時、今を観測できる

ということなんだね。
ゾーンに入ったスポーツ選手とかも、同じような原理なんだね。



そんな話はさておき。

私は悲しい!!!!!

という話しをしよう。
と。
思う。
…………。

私が生きている今、すなわち「現代」、だね。
はたしてこれが、過去の私が思い描いていたものなのか、って話しなワケ。

これは私が先月福岡の某デパートで体験した話なのだけれど、
ガンダムブースに行こうと、普通にエレベーターに乗るわけだ。
そこで気づく。


「行きたい階のボタンに手をかざしてください」

こう書いてある。
まことに驚きだよね。

私「行きたい階のボタンに手をかざしてくださいって……それはつまり、行きたい階のボタンに手をかざしてくださいってことですか!?」

いやはやハイテクな時代になったもんだと思うわけだけど、
何か物足りなさがある。
普段のエレベーターの、こう、ボタンを押したときの心地よさ、というか……。

カチ、と押して
カチ、と押して
ウィーン、と閉じる。
ポーン、二階です。

それがどうか。

スッ、とかざして
スッ、とかざして
ウィーン、と閉じる。
ポーン、二階です。

これが全然ちがうのよ。
正直、エレベーターに限った話じゃない。
スマホのフリック操作だって、あんまり好きではないのだ。
ガラケーのあのボタンを押してる感触。
パタン、と子気味良い音を立て畳むあのアクション。
最高だ。
同時に恋しい。
あぁ、恋しい。

本当はもっとボタン、レバー、キー、ハンドルに囲まれた暮らしがしたいのだ。
ガチャガチャと動かして、出撃したいのである。
そんな未来を思い描いていたのに、
実際の現実というやつは……

携帯→タッチパネル!
レジ→全自動!
キーボード→フリックアクション!
車のカギ→全自動!
エトセトラ→エトセトラ!
エトセトラ……

……バカヤロー!!
メカ好きの宿命か否か、非接触とは相容れないようだ。
こんな未来望んじゃいねー!